NBC長崎放送

2022/06/28/19:18

核兵器禁止条約の1回目の締約国会議の成果について…

昨年1月に発効した「核兵器禁止条約」。これまでに65カ国・地域が批准し、
先週21日から3日間、核兵器禁止条約の今後の運用を話し合う初の締約国会議が
オーストリアの首都ウィーンで開かれました。
開催前にチャージでは、核兵器禁止条約が改めてどんな条約なのか、
そして締約国会議では
どういうことが行われるのか、核情勢に詳しい
長崎大学 RECNA 核兵器廃絶研究センター 准教授 の 中村桂子(なかむら・けいこ)さんお話をうかがいましたが、

締約国会議の成果はどのようなものだったのか、最終日にまとめられたウィーン宣言の意義などについて再び、
中村桂子先生にお話を伺いました☎


〇今回の締約国会議を中村先生はどのようにご覧になりましたか。

 

会議は十分な成果を出したと思います。3日間という短い期間でしたが、事前の準備が周到に重ねられていて、
非常にスムーズな運営でした。議長国であるオーストリアのリーダーシップも非常に良かったと思います。
会議には約80カ国が参加し、NGOなどをあわせると1000人以上の出席があったと言われています。
私はリアルタイムでの視聴をしていましたが、オンラインでも会場の熱気が伝わりました。
各国の発言も前向きで、とても良い雰囲気の中で開かれた会議であったと思います。

 

 〇最終日には核兵器廃絶へ向けた「ウィーン宣言」と50項目もの「行動計画」が採択されましたが、まずは、ウィーン宣言はどのような内容だったのでしょうか。

 

今回の会議には大きくわけて2つの目的がありました。1つは核なき世界に向けての強いメッセージを
世界に向けて発すること。もう1つは、条約の中身を実際に前に進めていくための具体的な取極めや、
今後の作業計画を作っていくことです。

ウィーン宣言というのはこの前者の目的に沿ったものです。とりわけ、ロシアのウクライナ侵攻以降、
「国の安全を守るにはやっぱり核兵器が必要だ」と、核兵器の役割や価値を重視する論調が世界で高まっています。
核軍縮の機運に逆風が吹き荒れていると言ってもいい。こうした状況の中で、核を持たない国々が集まって、
「核兵器では問題は解決しない。今こそ核なき世界に向けて進むべきだ」と強いメッセージを発することは
非常に重要な意味を持ちます。

そこで、ウィーン宣言では、ロシアを念頭に、「核兵器のいかなる使用、また使用の威嚇も国際法違反である」
と明確な批判が盛り込まれました。しかし問題はロシアのことだけではないわけで、他の核保有国に対しても、
核抑止というのは結局核兵器を使うという脅しであり、危険だとはっきり指摘がされています。
さらには核保有国だけでなく、「核の傘」の下の国に対しても、核軍縮に向けて行動をとっていないと
強い批判の言葉が入りました。その上で、困難なことは十分承知しているが、核なき世界を実現するまで、
自分たちは歩みを止めない、と、核を持たない国々の強い決意が述べられた。これがウィーン宣言です。

 

行動計画はどのような内容でどんな部分が特にポイントとなってくるでしょうか。

 

行動計画は名前の通り、条約に書かれていることを実行していくために、「これから具体的に何をやっていくか」
の道筋を示したものです。一つ例を挙げますと、核兵器禁止条約の直面している課題の一つに、
条約に正式に入る国を増やす、という課題があります。
現在、条約の締約国は65カ国。まだ国連加盟国の3分の1程度です。
条約がこれからもっと力を持っていくためには、締約国を増やしていくことが急務なわけですが、
ではどうするか、というところで、たとえば条約に未だはいっていない核保有国や核の傘の国々と
積極的に対話の機会を作る、セミナーやワークショップを通じて核兵器禁止条約の価値を伝える、
核兵器の非人道性をさらに訴える、など、具体的な取り組みがこの行動計画において示されました。

 

〇前回のご出演の際に、核兵器禁止条約での重要なポイントの一つが、
核兵器で被害を受けた人々への援助、それから核で汚染された環境の修復が初めて各国の義務として定められた点とおっしゃっていらっしゃいましたが、今回の会議で具体的な進展があったのでしょうか。

 

そうですね。もちろん被害者援助・環境修復の問題は非常に大きい問題ですから、これから長い期間をかけて
取り組んでいくものとなります。今回の会議では、その第一歩が踏み出されたと言えます。
先ほど申し上げた行動計画の中には、このテーマについても今後どのように具体的に進めていくかが盛り込まれました。
たとえば、すべての締約国は、会議後3か月以内にこの問題の担当窓口を決めること、
援助のための国際信託基金の設立を検討することなどです。
それから、実際に被害者が国内にいるという国は、一年半後に開催される次回の締約国会議までに、
国内の被害状況を調査すること、援助に向けた国内での計画を立てることなど。
それ以外のすべての国はその取り組みに協力することなどが決められています。

 

〇日本政府は今回の締約国会議にオブザーバー参加することはありませんでしたが、
長崎から、田上市長や被爆者の方、若者たちが参加していました。彼らのスピーチや参加がどのような役割を果たしたと感じますか。

 

今回の締約国会議の一つの大きな特徴は、NGOなど市民社会の存在感がとても大きかったことです。
核問題を扱う国連の会議というのは、他にもNPT再検討会議などいくつもあるわけですが、
通常、NGOの出番というのはかなり限られているのです。
たとえばNPT再検討会議は4週間の期間のうち、NGOの代表が公式に発言を許されるのは3時間の特別セッションだけです。
お飾りと言ったら言い過ぎかもしれませんが、NGOが各国と同様に扱われるということはありません。
しかし今回の締約国会議では、NGOは時間の面でも内容の面でもまさに各国政府と同等のパートナーとして
関与することができていました。これは非常に新しい時代の到来を感じさせるものでした。

今回の会議では、日本から参加した被爆者や市長・若者ら、それから、世界各地から集まった核実験の被害者が
さまざまな形で発言を行いました。彼らの言葉を通じて、核兵器の非人道性があらためてクローズアップされることは、
ウクライナ危機で核軍縮に逆風が吹き荒れる中で、ますます重要であると感じています。

 

〇オブザーバーで参加した国の会議への貢献はいかがでしたか。

 

前回申し上げたように、締約国会議には条約に入っていないすべての国連加盟国がオブザーバーとして招待されていました。
結果的に日本政府は参加を拒否しましたが、NATO加盟国のドイツ、オランダ、ノルウェーなどは、
同じ核の傘の下の国々であっても会議に出席しました。

これらの国からは、安全保障のためには核抑止は必要であって核兵器禁止条約に入るつもりはない、
といったこれまでと同じ姿勢が示されたわけですが、
それでも「話し合いに参加することは大事だ、これからも議論を続けたい」といった前向きな発言も多くみられました。
こうした姿勢は日本政府も見習うべきだと思います。
ウクライナ情勢の中で、とりわけヨーロッパでは危機感が高まっていますから、オブザーバー出席に対する
国内での反発も強かったであろうと思います。もちろんアメリカの圧力もあるわけです。
そうした中でも議論の場に参加することを決断したということは非常に意義あることと考えます。

 

〇NPT核不拡散条約の再検討会議が8月に行われますが、今回の宣言や行動計画がどのような影響を及ぼすと考えられますか。

 

NPT再検討会議にはアメリカやロシアなど核兵器国が参加します。
その中で全会一致の合意を作っていくことを目指すわけですので、当然厳しい局面になることが想像されます。
正直、今回の締約国会議の成果を受けて、核兵器国の姿勢に直接的な影響があるとはなかなか考えづらいです。
しかし、NPT再検討会議に向けて、核を持たない国々の結束を固め、核軍縮への機運を高めたという点で、
今回の宣言や行動計画には意味があると考えます。また、それを応援する市民社会の動きも鼓舞したと考えます。

日本政府については、今回の締約国会議に背を向けましたが、NPT再検討会議には岸田首相がすでに参加を表明しています。
締約国会議で存在感を発揮しなかった分、NPT再検討会議で何とか日本は目に見える形で成果を上げないといけない。
日本政府は自らハードルを上げた形になりますね。

 

〇今回の締約国会議を振り返り、私たちができることは改めてどんなことだと思いますか。

 

行動計画を見ていただくとわかるのですが、けっして国がやることだけが書かれているわけではないんですね。
国、国際機関、NGOやアカデミアなどの市民社会、とりわけ被害を受けた人々やコミュニティが手を取り合い、
協力してやっていくことが必要だと書かれています。
締約国や世界の市民団体と、長崎の私たちが一緒にできることがたくさんあります。
それぞれの締約国と長崎の関係も強めていくことができます。

核兵器禁止条約はまさに今船出したところです。これから長い長い航海が続いていくわけです。
日本の私たちはけっして傍観者ではなく、同じ船の乗組員として、一緒に働き、
一緒に核のない世界へと舵を切っていく、そういう気持ちで今後の動きを見ていくことが大事ではないかと思います。

 


オーストリアのウィーンで開催された核兵器禁止条約の第一回締約国会議について、
長崎大学 RECNA 核兵器廃絶研究センター 准教授 の 中村桂子(なかむら・けいこ)さんにお話を伺いました。

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